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2011/3/11東日本大震災の仮設住宅を紹介

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2013年3月11日(月)14:30〜追悼集会開催

2年前の2011年3月11日、午後2時46分、あの東日本大震災はおきました。死者15,881名、いまだ見つからない行方不明者2,668名、合計18,549名の尊い命が奪われ、そして、私たちの大切な財産や思い出も全て失ってしまったあの日、あの瞬間は、まだ昨日の出来事の様です。着の身着のまま、命からがら、あの巨大地震と大津波に襲われ必死に逃げ、たどり着いた避難所。
通信網も遮断され、連絡の取れない家族の安否も分からないあの日の夜。寒さに震え、余震におびえ、耐え忍んだ日々は忘れようにも、忘れられません。私たちは天から見放された、神も仏も私たちを見捨ててしまったんじゃないかと、思ったこともありました。自然の猛威のすさまじさと人間のちっぽけさを痛感したあの日。

つらい避難所生活から抜け出したい一心と、原発事故という見えない恐怖から離れざるを得なくて集まり、出来上がった仮設住宅、この「あすと長町仮設住宅」。
皆、家なき子が様々な地域から集まってできた仮設住宅。ペットも家族、そして安心できるプライベートな空間。初めて鍵を開けて入った時の何とも言えない安堵感と不安を今でも思い出しませんか?お隣さんは、お向かいの人はどんな人達だろう?仮設とはいえ、新しい生活は、私の故郷岩沼の幼いころの、父の友人と一軒家での共同生活を思い出しました。でも、ここでの暮らしも早くも3年目を迎えようとしています。ようやくできた、「絆」コミュニティを大切にしたい。

私たちの生活も支援者さん達に温かく、そして大きく支えられながら「衣・食・住」の「衣と食」は何とかなりましたが、「住」住まいの目途は程遠く、個々人で抱えている問題も様々で、集団移転先や復興住宅の整備も進まないまま、3年目の仮設住宅の暮らしを迎え、ここの暮らしも長期化を余儀なくされそうです。
早く、この住まいの問題の長いトンネルに、小さくても良いから「明かり」を見つけたい、私たちに希望と選択肢がほしい。帰れるものならば帰りたい。早く私たちに「終の棲家」を与えてください。

そして、皆さんでこの仮設を卒業しましょう。

それでは、犠牲者の皆さんに黙とうを捧げたいと思います。

                                       あすと長町仮設住宅自治会長
                                               飯塚 正広


あすと長町仮設住宅自治会

〒982-0007
仙台市太白区あすと長町3丁目1-1
あすと長町仮設住宅7号棟2

問い合わせ先
Mail:etos.iitsuka@gmail.com

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